旭川の雪山に鳴り響くスキー狂の詩。

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「朝、起きるでしょ。まず、今日はどんなターンをしようか? とぼんやり考えちゃうんです(笑)。」
冬になると春までみっちりとスキー三昧。“三昧”という表現が軽すぎるほど、朝も昼も夜も、寝る間も惜しんで、雪に覆われた旭川の大自然の中で、スキーにどっぷりと漬かる。
 はっきり言って、狂っている。愛すべきスキー狂。それが、バックカントリースキーヤー、浅川誠さんだ。

「もうね、ずっとスキーのことを考えています。当たり前なんですが、東京は雪がないのか! これじゃ、滑れないなぁって自然に思っちゃいますね。今から飛行機に乗れば、ナイターにも間に合うし、早く帰りたいですね(笑)」

 一にスキー、二にスキー、三にスキー。浅川さんは、完全にスキーを中心にした生活をもう20年近く続けている。
「地元が旭川なんでね、子供の頃からスキーは身近にありました。というか、プロアルペンスキーヤーになるために、苦しいくらい猛特訓をさせられていました(笑)。
 大会でも1位、2位は当たり前。走り出した列車のスピードを緩めることはできず、無我夢中で競技スキーの世界にどっぷり身を置いて、切磋琢磨していたのですが……。
 中学3年生のある時、急に糸が切れたんです。これは自分のためにやっていることなのか、それとも他人のためにやっていることなのか。滑る意味がわからなくなってしまったんです。それが大会の決勝戦の前夜。ヒートアップしていた気持ちが急にクールダウンし、これを機会にスキーの世界から足を洗いました。未練は全くありませんでしたね。」

 15歳の浅川少年は、それからというもの、あんなに毎日触り続けたスキーの板に一切触れることをせず、すっぱりと“無縁”の生活を送ることになる。これがもし続いていたら……、目の前でスキーのことを超ハイテンションで話す浅川さんとは会うことができなかっただろう。地元でのんびりとした生活を送っていたに違いない。
 しかし、スキーの神様は彼を手放すことはしなかったのだ。


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「15歳の“卒業”以来、スキーとの距離は離れていく一方でしたが、スノーボードは遊び程度に嗜んでいました。旭川にはプロスノーボーダーの石川健二くん達も滑っていたし、ライフスタイルも含めて憧れていました。
 そんなある時、友人が、『出てみない?』ってスキークロスの大会にふいに誘ってきたんです。『え?』って思いながらも、10年ぶりのスキーがとても新鮮に感じ、久々にやってみるかぁと軽い気持ちで参加したんですが……、いざスタート台に立ってみると、〈ヴェクターグライド〉の秋庭将之さんや、アルペンスキー時代に敵わなかった瀧澤宏臣さんなど、少年時代のレジェンドが同じスタートラインに並んでいたんです。もう、びっくりしました(笑)。一気にやる気に火がついて、10年前の感覚を取り戻すかのように一心不乱に滑ったら、第二戦でまさかの一位。『俺、まだまだイケるじゃん』って気持ちが一瞬で沸きました(笑)」
 自分のスキーはまだまだ衰えていないと感じると同時に、大会前に練習も兼ねて、久々のホームグラウンド、旭岳にスキー板で入ったこともかなり大きかったと話す。
「何も変わってなかった。あの頃と。山中の岩も、ロープウェイ乗り場のおじさんも(笑)。スキーの板で滑ること自体も気持ちよかったですが、「キミの居場所はここなんだよ!」と周辺の環境が背中を押してくれたような気がするんです。スノーボードで滑るのと訳が違う。スキーだと滑りたいように滑ることができたんです」

 10年越しのスキー熱再燃。10代の頃とは別の炎がメラメラと燃え上がった。最初のうちは、大会で優勝したこともあり、先輩方に誘われ、スキークロスの大会を転戦する日々。
 しかし、楽しいとはいえ、あの時と同じ競い合い。これでは15歳の頃のように、いつかスキーが嫌いになると思うようになり、自分のためのスキーだけを求めるスタイルに変化していくことになる。

「誰のためでもない。自分のためだけのスキー。ただひたすら山の中を夢中で滑るスキー。順位なんて関係ない。滑っていないと気が済まない! という己のハートを鎮めるべく、山の中に籠るスタイルになっていったんです。寝るっていうのはもっての外。雪とスキーがあれば、何もいらない。唯一の精神安定剤でしたね。それは今も変わりませんが(笑)。
25歳の頃にそんな生活に突入して以来、旭岳を根城に心の赴くままにスキーライフ。プロのスキーヤーが撮影で訪れると、彼らよりも早く“ライン”を付けてやろう。だって、ここは俺の山なんだもんって(笑)」
 
 そんな旭岳の“雪男”と化した浅川さんを取り上げたいという雑誌社や、契約を求めるスポンサーから声が掛かるようになってきた。しかし、純粋にスキーライフを生きる彼にとっては、どれも正直興味がなかった。余計な足枷が増えるような気がしたのだ。

「でも、〈フェニックス〉だけがしつこかった(笑)。何度か断ったけど、話だけ聞いてみようと重い腰を上げて、札幌の事務所に出向いたんです。
 そしたら、目の前に少年時代のアルペンチームの先輩が座っていたんです。初めてスキーと向き合った頃の“同志”。それに思い返せば、当時袖を通していたウェアが〈フェニックス〉だったんです。いろんなことがドミノがバタバタと崩れ去るように繋がり、気がついたら運命に身を任せるままに契約していました。
 最初は1年のつもりでしたが、気づけばもう17年目(笑)。早いものですね。だけど、〈フェニックス〉のスキーウェアはハイテクな生地も、余計な機能がないのが最高。シンプルだけど、しっかり身が備わっているんです。いい意味でクラシックなスピリットが、僕のライディングスタイルに似通っているような気がするんです(笑)」

左上写真/〈フェニックス〉のスキーウェアに搭載されたストームフードは、ヘルメットを被った上でも頭の形状にぴったりフィットするのが便利とか。ゴーグルは、〈オークリー〉の「エアブレイク」。 
右上写真/〈ヴェクターグライド〉の秋庭さんとテストを繰り返して作ったスキーブーツ「OMNIS」。フレックス(シェルの硬さ)や踏み込んだときの戻りのバランスが絶妙とか。15年近く同じモデルをはいている。
左下写真/雪崩にあったときにエアバッグが発動し、その浮力で、雪の上へ浮上するシステムを搭載したバックパック。この手の先駆け、ドイツのABS社によるもの。バックカントリースキーでは欠かせない装備。 
右下写真/何度も使っていると手に馴染んでくることから、スキー用のグローブはもっぱらレザー製。ここ最近は、〈ヘストラ〉の「ワカヤマ」モデルを愛用。


PH852SB01 Snow Ridge 3L Bib Pants(Brown)

 現場で滑る人の意見をしっかりと取り入れてくれるのもいいとも話す。写真で着ているビブパンツも元々は腰丈だったが、体の冷えを考慮して胸元まで伸ばしてくれたとか。ブーツに干渉しないダウンパンツを考案したり、浅川さんは〈フェニックス〉のスキーウェアを作る上で欠かせない相談役にもなっている。

「僕は朝でも昼でも夜でも関係なく雪山かスキー場にいます。普段、仕事で滑れない人も『ナイターもアリだな! 浅川誠も滑っているんだし』って思って欲しいと言うのが理由なんですが、そんな彼らが僕の着るウェアを見て、ちょっと試してみようかなと思うかもしれない。だから、最低限、僕なりにいいスキーウェアは何なのかと雪山で培った経験や知恵を結集させて、少しづつアップデイトしてもらってますね」。

 〈フェニックス〉と契約してからは、“自分のため”じゃなく、スキーの魅力を他の人にも啓蒙していきたいと思うようになったのが大きな変化だと話す浅川さん。
 スキーができない夏場には、農作物の加工所で働く以外にも、地元・旭川の自然を満喫してもらうサイクリングツアーも始めた。

「でも、すべてがスキーと直結しているんです(笑)。この斜面も冬になったら、いい雪が積もってさ。そのパウダースキーの上をスキーでシャーって滑ったら、この上なく心地いいんだよって、お客さんに話すこともスキーの話ばかり。夏でもスキーを思い浮かべて欲しいんですよね。やっぱりスキーと旭川への一途な恋は止まることを知りません(笑)。
 悪天候でどうしても滑れないときは、自宅のスキー部屋(サポートしてもらったスキー板やウェア、グッズなどでぎっしり)に篭って、ビールをぐびぐびと飲みながら、想像の中で雪山を滑走していますし(笑)」。

 もう手のつけられない根っからのスキー馬鹿。旭川のこともスキーのことも人生をかけて愛する浅川さんに会いたくなったら、遠路はるばる旭岳へ。
 彼の熱いトークを間近で聞けば、誰もがもっとスキーを好きになってしまうはずだ。

浅川 誠(あさかわ まこと)
PROFILE
1974年、北海道、旭川生まれ。5歳の頃よりスキーを始める。〈フェニックス〉のスキーラインのアドバイザーをしながら、撮影のサポート、カタログモデルなども務める。
Instagram: @makotoasakawa

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Photo: Riki Yamada
Interview&text: Koji Toyoda
Produce: HEMT PR

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